ここの回復期リハビリテーション病院に
転院する前の
急性期
(病気発症したての時期。救急車で搬送され、
一番最初に入院する病院)での
思い出話。
今私がいる回復期病院では、
週に2回、ヘルパーさん主催による
カラオケ大会が開催されている。
入院患者が自身の喉を自慢しあう。
カラオケと言ってもテレビに繋げる
家庭用のカラオケマシンなので、
街のカラオケボックスのように
曲が何でもあるわけではない。
かと言って古い演歌ばかりというわけでもなく、
作詞者没100年経った謎の曲が
大半をしめる。
私はここで初めてカラオケで
「翼をください」を熱唱した。
しかし歌うのが好きな私は、入院日当初より、
カラオケ大会開催日は、御年配に混じって
必ず参加している。
カラオケは最高に
ストレス発散になるからだ。
そもそもリハビリ入院生活においては、
常にナースの監視下という
不自由なこと以外は何のストレスもない。
歌には不思議なパワーが
ある。
高次脳機能障害で
普段喋るのが苦手な患者さんでも、
ことカラオケとなれば
自分の好きな歌なら大熱唱できる。
上手い下手は関係ない。
カラオケ大会はいつも
大盛り上がり。
歌は魔法だ。
このカラオケ大会の時は、
皆脳卒中のことは
忘れて大熱唱。
でも、これも立派なリハビリ。
口を大きく開けて、音程とって
声を出して歌うにはパワーがいる。
腹筋も使う。1曲歌うだけで
下手なST1時間よりも十分効果的だ。
どこのリハビリ病院にも、
こういったカラオケ設備は
用意されていると思うが、
十分活躍しているだろうか。
どこのリハビリ病院も是非
積極的にカラオケを
リハビリに取り入れて欲しい。
そんな歌の底知れぬ
パワーを感じたのが,、
私が急性期病院で入院していた時だ。
私が入院していた病室は、
今と同じような大部屋だった。
一つの大きな部屋に、複数の患者が
カーテンで仕切って生活する。
急性期は私の部屋には他に
2人の患者がいたが、
周りの患者さんは、同じ脳卒中でも、
みな脳に強い麻痺がある
患者さんばかりだった。
運動、言語、高次機能、
どれも強い障害がある。
片麻痺の私でさえ、ここにいるのが
申し訳なく思うほどだ。特にご家族さんが
いらっしゃる時は。
別に彼らを哀れんでいるわけではないが、
同じ脳卒中でここまで障害が違うのかと、
神はやはり存在しない、と悲しくなる。
テレビのイヤホンから漏れる音、
こそこそ電話する話し声、
あくびや咳払いなどの
生活音が一切ない、
聞こえるのは1日絶え間なく聞こえる
心電図のピッピッという音だけ。
たまにあー、とか、うー、という静かな
うなり声だけが唯一の人の気配。
私は当時は今みたいに車椅子で
どこでも自走してもいいわけではなかったので、
1日中物静かな彼らと一緒。
時折面会に来る患者さんのご家族さんが
唯一の話し相手。彼らに何を話かけても、
私の声なんか届かない。
認識などしてくれない、
コミュニケーションに意味がないと、
ずっと思っていた。
同じ脳卒中同士なのに。
急性期時代の朝の食後は、
ナースコールでナースさんを呼び、
車椅子を押してもらって病室に備え付けの
洗面台の前まで連れて行ってもらい、
歯磨きをする。
当然は歯磨き中は、ナースさんはじっと
待っているわけにはいかないので、
「終わったら呼んでね」と、
すぐどっか行く。
しかし洗面台に
ナースコールなどあるわけなく、
私は歯磨き終了後はだいたい
放置プレイされていた。
だって自走も出来ないし、
帰りようがない。
だから私は
鏡越しに
腕を大きく振っていた。
病室が
ナースステーションの前なので、
鏡越しに
私が腕を振っているのが分かるのだ。
しばらくすれば、ナースさんが私が洗面台で
放置プレイされているのに気づき
「ごめーん」と
回収しにきてくれる。
毎朝同じくだりが
続くのが嫌になった私は、
ナースさんに私の存在に気づいてもらう
サインの腕のスイングに合わせて、
サライを歌うようにした。
まるで24時間テレビのエンディングのように。
「♪さくらーふぶーきのー」
「♪さらいーのそらへー」
「ごめん!待った?」
「今日は3番まで
歌いましたよ!」
と、かけつけたスタッフに毎回当て付けを言う。
こんなやり取りを毎朝のように
病室内でしていたとある日の深夜、
私は急に視線を感じ、ふと目を前にやった。
私の目の前の患者さんが
じっとこちらを見ながら、
手を軽くあげ、ずっとスイングさせていた。
最初は意味が分からなかったが、これは
サライを歌えということなのかな。
と思い、
彼が納得するまでサライを歌い続けた。
1曲歌い切ると彼のスイングが
ピタリと止まる。
そしてしばらくすると
またスイングが始まる。
アンコールだ。
「えー?!夜も遅いのでもうこれで最後ですよ!
朝も聞いてたでしょ?!」
彼らとコミュニケーションなんか
取れないと思い込んでいたのに、
しっかりとコミュニケーションが出来た。
サライを通じて。
この嬉しいやりとりを
いまだ誰にも話せれていない。
あの時、その患者さんのご家族さんに
教えてあげたらよかった、と
今もちょい引きずっている。
あれから半年。
彼は元気に
しているだろうか。
退院したら
サライを
歌いに行こう。
歌は魔法だ
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