急性期病院での入院生活の始まり【闘病記⑬】

急性期

4月4日、私は

急性期の病院、5階SCU病棟のベッドに居た。

急性期とは

急性期とは、病気が発症したばかりの時期で、容態が変わりやすい期間を急性期と呼び、その期間は、その専門の病院に入院します。

SCU病棟とは

私のような緊急で救急車に運ばれ、
緊急手術を行ったばかりの麻痺りたてほやほやの新米患者が主に集り、
集中的に治療や介護、リハビリを行うのがSCU病棟である。

要は脳卒中患者の初心者の酒場のようなものだ。
 

 

この病室には、私以外に3人の患者さんがいるようだ。
 

 

私の左斜め前には白髪の中年男性。

コテコテの関西弁で、

男が聞いても渋くてかっこいい声。

 彼との初絡みは、私がオシッコが漏れそうでナースコールを探していたとき、

ナースコールがまったく見つからず、

ベッド上でモゾモゾ困ってい時、

私が最終的に大きな声で

「すみませーん」と

直接ナースさんを呼ぶ前に、

彼が自分のナースコールを押して
ナースさんを呼んでくれた。
 

 

当然彼が押したナースコールは彼用の物なので、

ナースは彼に

「どうされました?」

と訪ねる。

すると彼は
「いえ、前の彼(私のこと)がナースさんを

呼びたそうにしていたもので」

と、代わりにナースさんを呼んでくれた。
 

 

もし彼がすぐ呼んでくれなかったら
今頃私は漏らしていただろう。

麻痺で入院していると、
徐々に漏れそうになるのではなく、

なんの前触れもなく
いきなり
膀胱破裂しそう、

から、

尿意が
突然スタート
し始める。

頻尿体質の私からしたら、

大変重い十字架である。

「おお、トイレの神よ。

何か私が罰を受ける罪を

おかしましたでしょうか。」
   
無事トイレで排尿も終わり、

スッキリして帰ってきた時に、

彼に向かって「Mさん!!※彼の名前」」
と、声をかけた。

そして

右手でナースコールを押す仕草をしながら

「ナースさんを呼んでくださいまして
ありがとうございました。
助かりました!」

と御礼を言った。

すると彼は照れくさそうに

「えへへ」と

軽い会釈を返してくれた。

とても紳士的で可愛らしいおじさんだった。

Mさんの年齢は私の2倍らしい。

とても高齢者には見えない。
   
Mさんは貿易会社の社長さんとのこと。

確かにそんなオーラを持っていた。

思わず、
「社長!」と

言ってしまいそう。

Mさんが入院前は
どんな社長だったのか容易に想像できる。
シャバの時なら、

私の様な若輩者が軽々しく

「ありがとうござました!」と

お声がけできない様な
立場の人なんだろう。

でかいビルの何処かに存在する、

謎の社長室で日々黙々と業務日報と
にらめっこしてそう。

でも決して怖そうではない。
笑顔がステキな人は普段あまり怒らない。

時おり面会に現れる、
おそらく会社の部下達の
Mさんに対する態度がMさんの
普段の人柄を物語っている。
 

 

これが普段態度悪い
プンスカワンマン社長なら、

部下は一切面会すら来ないどころか、

社長不在の社内で、

笑いながら社員達と談笑しているはずだ。
 

 

これは偏見であるが
70歳あたりのジジイは、

大変横暴な人が
比較的多い人種だ。

ちょい前に世間で

「キレる老人」
というワードが
話題になった。
   
ナースさんは若い人が多い。

特に女性。

そんな若い女性ナースは、彼らにとって
自分よりかなり格下だと思っている。

電車でもブリブリ大声で怒っているのは
大概70歳ぐらいの高齢者、

そしてターゲットは若い女性。
とくに女子高大学生。

ただし茶髪のイケイケギャルには
相手にしない卑怯者だ。
 

 

しかしMさんは違った。

ナースさんへの態度が
やってもらって当たり前、では
ないのである。
それがはたから見させて頂いて、
いちいちカッコイイ。
 

 

脳神経病棟勤務のナースさんは、

お茶を入れたり、
患者さんが
誤って落としたものを拾ったり、
お使いに走ったり、
手が届かない背中を掻いたり、
 

 

麻痺により
自分ができなくなってしまったことを
本人のかわりに介助するのも大事な
仕事の一つである。
 
つまり
   
患者からしてみれば
やってくれて当たり前のことである。

Mさんは、
ナースさんがやってくれたことに対し
そんな態度はひとつも見せない。
 

 

ナースさんが何かするたびに、
凄い感謝の気持ちを込めて
「えらいおおきに!すんまへん!」
と新喜劇ばりのテンションで、
都度都度御礼を言う。
そのお声がまた渋いトーンで
カッチョいい。
 

 

御礼を言うのは当たり前だが、
都度感謝の気持ちをこめるのは、
実際難しいもんである。
 

 

 5階SCU病棟で、
生まれて初めての入院生活で、
そんなMさんのナースさんへの対応を
ずっとみてきた。
まるで生まれたての雛が、
はじめて見た物を、
母親と勘違いするかのごとく。

   
そんなMさんとナースさんとのやり取りを
ずっと見てきたもんだから、
 

 

これが正しい入院生活、
ナースさんへの
正しい対応
なんだと
徹底的にすりこまれる。
 

 

そして私も、
Mさんみたいな対応を心掛けようと思った。
 

 

さすがにコテコテの関西弁では
お礼は言わないが、
してくれたことに対してしっかり感
謝を込めて
お礼を言うようにした。
 

 

ナースとは大変なお仕事。

特に今回私が入院生活をした
脳神経病棟の客(患者)は、
偏屈ジジイばっかり

高次脳機能障害という脳の障害でイライラする性格に変わることもあるそうだ。

 

 

クソ忙しいのにワガママ言いたい放題。
 
休みも少ない、夜勤、連直、
長時間労働は当たり前、
いつが休みなのか
さっぱり自分でも分からない。
 

 

私なら絶対無理である。
 

 

そんなナースさんが
毎日気持ちよくお仕事できるよう、

理想の患者としとて
立ち回るよう心がけようと思った。
 

 

Mさんリスペクト。

そんなMさんの趣味は船の操縦なんだそうで、

自分の船をたくさん所有してるんだそう。
休日には船舶仲間と海に出かけて
港町に寄っては
その町名物の美味しい海鮮料理を
食べるんだそう。
 

 

クッソかっこいい!!

 

 

大人がなりたい
チョイワルオヤジの
日本代表

みたいな人だ。
 

 

自分がいくら歳をかさねようが、
絶対Mさんのような大人になれないと思う。
ナースさんとの会話も毎回おもしろい。
聞き耳たてるのは大変よくないが、
その会話が私は楽しみだった。
 

 

大阪にある、この店のこの料理は
絶対食べた方がいい、みたいな
大人の会話をよくしていた。
 

 

絶対Mさんに、
飲みに連れていってくれたら
ものすごく楽しいはずに違いない。
 

 

Mさんはおしゃべりが大好きで
コーヒーにうるさい喫茶店の
名物ニコニコオヤジ。
そんな感じだ。
 

 

そんなMさんとは、
私が一般病棟の7階に移る日まで
私のななめ前で寝ていた。

Mさんは私が入院し始めた頃には
既にわりと動ける人で
(Mさんが最初どれだけ麻痺があったかは
定かではない。
また、脳梗塞か脳出血かでも
麻痺の度合いが全然違う。)
 

 

自分で車いすを動かしてナースさんに

「ちょっとトイレへ
行ってくるよってに!」と

声がけしては、
よくトイレに一人で行っていた。
 

 

私のように脳出血で、
半身に強い麻痺がある患者は
最初は
基本1人では
トイレには行けない。

 

 

勝手に行ったらナースさんに怒られる。
万が一転ようもんなら、
せっかく頑張ってきたリハビリがパーになる。
打ちどころが悪ければ
死の危険性

もある。
 

 

半身麻痺のため、こけやすい上に、
受け身が取れないため、もろに
ダメージをくらう。
骨を折ろうもんなら完治するまで
リハビリなんてできない。
 

 

そもそも私は左手が使えないので
パンツとズボンの上げ下げが出来ない。
※右手は手すりを持たないといけない。

しかし手すりなしでも立つことができるならば右手だけでも上げ下げ可能だが、
手すりなしの立位は
相当リハビリで練習が必要
だ。

 

 

そんなトイレに1人でいける
Mさんが羨ましかった。
 

 

今私は、ナースコールでナースさんを呼び、
ナースさんに車いすを押してもらいながら
トイレに行き、
ナースさんに都度チンを見られながらも
パンツとズボンを
上げ下げしてもらわないと
オシッコすらできない。
 

 

病棟での移動手段は車椅子で、
私の場合は大変麻痺が強かったので、
そもそも基本一人で
勝手に車椅子移動してはいけない。
私に自由はない。

   
日々の膀胱具合は
ナースさんのさじ加減なのだ。

   
今の私は、1人で普通にトイレにいける
我が子供達以下だ。

 
 

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