高血圧性脳出血(被殻出血)発症から入院までの記憶【闘病記⑫】

急性期


PCとアイポンの
殺人計画
に、
まんまとはまった私は、

暗い事務所で1人、

胎児のようにうずくまって
必死に眠気と戦っていた。

眠気のせいでもうすでに
尿意はどうでも
よくなってる。

もうすでに疲れきっていた。

強い眠気が時おり襲っては消える。が
何度もくり返される。

感覚としては、

夜中の3時ぐらいまで起きてて
ふとテレビをつけたら、

クソくだらない番組がはじまり、

たいしておもしろくないのに
続きを見たくなる
番組構成のため、

強い眠気とともに
結局最後まで見てしまう、
あの不思議な感覚だ。

Eテレでよくあるやつだ。

あの時は本当に
早く寝たかった。

ただそれだけだった。

もしあのまま寝ていたらどうなっていただろう。
 
 
すっかり尿意もとんでしまった。

そろそろ眠気も限界だと思っていたら

急に
ドアの
チャイムの連打。

事務所のチャイムの音は、
ピンポーンではなくジリリと
数秒ベルのような音がなる。

そして非常にやかましい。

設置後、
ちゃんと音の確認したんかと、
疑うほどだ。

そんなやかましいチャイムの音とともに

すごいドアを叩く音。

その時覚えている記憶は、

「静かにして。
早く寝たい 。」

だった。
 
 
とにかく眠たくて仕方がなかった。

そしてドアの向こうで

自分の名前を呼ぶ
声が聞こえた。

妻の声だ。

声を聞いた時一番最初に思ったのは

「やっと
オシッコができる」
である。

眠たいといえど、いまだ絶讃ガマン中だ。

しかし待てど暮らせど妻は入ってこない。

それはそうである。

ドアには鍵がかかっている。

鍵を開けに行こうかと思ったが、

鍵を開られるもんなら、
すでにトイレに行っているし電気も点けている。

私は玄関のドアが開くことを祈った。

鍵は今私が持っている。

確か事務所の唯一の鍵だよと聞いた。

スペアが存在しているかはは分からない。
絶望的である。

 

 

いまだ続くチャイムと激しいノック。

「もうどうでもいいや、ちょっと寝よう」
と思い、
 
 

眠気も膀胱も限界を感じ始め時、

突然鍵穴をガチャガチャする音とともに
 

 

 

 

ドアが開いた。

懐中電灯を持っているのか眩しく照らされる。

そして妻の私の名前を叫けぶ声。
 
 
妻が助けに
来てくれた!

 
 

妻がアパートの大家に
連絡して鍵を
ゲットしてくれたのだ。

そして男性の声。

「何やっとんねん‼︎」

 と怒った声。

そう、妻の父だ。私でいう義父だ。

そうか、玄関のドアを力強く叩いていたのは
彼だったのか。

そして妻が急いで119をかける。

その姿をみて、オシッコが漏れそうとは
言い出し辛かった。

そして妻が私に
ここの事務所の詳しい番地を聞くが
焦って(?)出てこない。

私は気がついたかのようにサイフから
自分の名刺を取り出す。

それに気がついた妻が
私から急いで名刺を取り上げ番地を伝える。

名刺をとりあえず
サイフに入れておいてよかった、と思った。
 

 

遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。

今かすかに
サイレンが聞こえるが
この救急車に乗るのかな。

事務所までは狭い路地で、
しかも事務所前は
自転車でいっぱいだけど
大丈夫かな、

とか色々考えているうちに
サイレンの音は
事務所の前から聞こえるように。

ときおり救急車の赤いランプが眩しく
事務所の窓から差し込む。
 

 

深夜、
近所迷惑なことを
してしまった張本人は私ですよ。
と、
申し訳なくなった。

事務所に利用してるマンションは、
お年寄りの方が大変多く

すれ違うと気さくに挨拶してくれていた。
 

 

その時私は大概
死んだ目をしていたので、

ご近所の皆さんも、あの部屋の彼が
ついに自殺でもしたと思ったに違いない。

 

 

「私は生きていますよ!」と
近隣住民さんに伝えて回りたかった。

しかし、

そんな
迷惑きわまりない、

生死を伝えるだけの
挨拶回りは、

こんな深夜に
できるわけでもなく

 

 

救急隊員さんにタンカーで連行されることに。

隊員は2名、事務所は3階。
建物が古く、エレベーターはない。

階段は狭く、
とても担架で運びだ出せそうにないけど、
どうするんだろう、

とワクワクしていたら、
救急隊員の1人が

救急車から
布に包まれた棒状のものを持ってきた。

折りたたみ式の
ストレッチャーと呼ばれる担架だ。

私は担架の布地に包まれ、

隊員の1人が私をヒョイっと持ち上げる。
 
 
そして忘れもしない、隊員の1人が

相棒のもう1人の隊員に告げる言葉。

「このひと、
身長のわりに
持ち上げやすいぞ!」

 

 

大きなお世話である。
この時私は心の声で

「やかましいわ!」
つっこんだ。
 

 

そう、私は身長168cmあるのに、

 体重が54kgしか無い、

モデル顔負けのナイスバディ。
 
 
無駄にナイスバディが功を奏して
私の体は凄い速さで3階から1階に。

いつも
1分ぐらいかけて
降りているのに
体感10秒ぐらい。

さすがレスキュー隊員である。
 

 

そして救急車に乗る。妻も乗る。

事務所からここまでそんなに
移動距離は感じなかったので

救急車はおそらく
マンションの前に
止まっているんだろうなと
思った。

救急車に到着後、
救急隊員から手当てと
検査を受ける。
速攻で飲酒がバレる。

そしてバイタルチェック。

上が200を余裕で超えており、
救急隊員どん引き。

そして救急搬送可能な病院を
これから探してくれるわけだが
深夜なのか
結構時間がかかったようだ。
 

 

体感的に15分ぐらいに感じたが、
妻曰く1時間ぐらいかかったよう。
 
 
 搬送先は関西で脳外科で
有名な病院
だった。
 
 
この時は、
私の脳に異常
が起きてるとは本人も含め
誰も思ってなかったが、

救急隊員には

至急脳の手術が必要と判断
したようである。
 
 
のちに聞いたのだが、このレスキュー隊の判断は
大変素晴らしいものだったらしい。

もし搬送先が
普通の救急病院だったら、

もっと障害が重く残った
かもしれないところだった、
とのこと。

 

 

搬送先も決まり、救急車が動き出す。

外は見えないが
今どの方向に進んでいるかは
体感でだいたい分かる。

鳴り響くサイレンと赤いランプ
とともに救急車が住宅地を抜ける。

大通りに出たようだ。
スピードが加速する。

仕切りに聞こえる

「交差点に進入します。
ご注意下さい。」というアナウンス。
 

 

救急車の中で
妻が励ましてくれる。

子ども達は今義母が面倒みてくれてるようだ。

救急車が右折して停車する。

おそらく病院に到着したのだろう。

救急車の後ろのドアが開いたた。

そしてナースさん達が

「せーの」で、

私の体を持ち上げ病院のベッドに移る。
 
 
だいぶ走ったがいったい何処の病院なんだろう。

どんな手術が待っているのだろう。

ずっと不安でドキドキしていたが、

妻がずっとそばに居てくれると思ったので、

これからどんなことがあっても
大丈夫だと安心していた。

病室に到着後、妻ととともに
主治医の先生から説明をうける。

この病室に来る前に脳の検査
CTスキャンは終わっていた。
 

 

先生の話は聞こえていたが

頭痛が酷くて何を言ってるのか
理解出来なかった。

とにかく今はゆっくり眠りたかった。
 
 
この時
奇妙なものを見た。

 
 
主治医とナース、
妻と義父がいる病室を

白い蝋をかぶった老母が

何かを捜すように
宙をウヨウヨ飛んでさまよっている。

一人じゃない。数人いる。頭はひたすら痛い。

あの老婆に触れられたらどうなるんだろう。

ていうかこれは幻覚か?

にしても
リアル過ぎる。

あるあるネタだが、当然ながら老婆は
自分以外には見えていない。

そして老婆が
私に気がついたようで、

こちらに
徐々に近づいてくる。

私は思わず、
「お呼びでないよー。」と、

老婆に向かって手を横に振って
バイバイの仕草をする。
 

 

そして緊急手術が始まる。

手術は
全身麻酔にしてほしかった。

ドラマでよくある、

寝ている間に手術がおわっていて、
気がついたら
自分の病室で寝ているやつだ。
 

 

しかし
本人の期待を
おおきく裏切り、

手術は局所麻酔だったようだ。

ナースさんが頭をバリカンで
右側頭部を剃りはじめる。

元々ボウズでよかった、
と思った。

 
 
もし今が

サラサラヘアに命と
お金をかけている

20代中盤の
セミロング時代

だったら発狂もんだっただろう。

私は20代中盤の頃、3カ月に1回
縮毛矯正をかけに行っていた。

他にも、高いヘアケア商品を
集めたりしていた。

それが今や嘘のようにボウズである。

実家に帰るたび、母から
「あんたには間が無いんかよ。」と
呆れられていた。

2カ月一度馴染みの美容室で
バリカンでいつものオッチャンに
バリカンで手入れしてもらうだけ。

顔馴染みなのでなにも告げずに
ただ座るだけで剃ってくれる。

割と行く時間が空くと、
「3 ㎜でしたっけ?」と聞いてくる。

いつもそんな感じ。
 

 

バリカンで手術する場所を剃っているのかな?

そして手術は始まり

自分の頭が
ワチャワチャ
されている感覚と、

何かを
吸っている感覚があった。

 
 
最後は医療用ホッチキスで
傷口を縫われた。

本当にホッチキスで
紙と紙を閉じるように、
バチン!
バチン!

皮膚と皮膚が
無理矢理くっつく感触と音が
今でも鮮明に残っている。
 

 

↓ 実際の手術跡(ご本人)

 
 
そして手術は成功し、

無事に終わったが、

脳出血の障害により、

4月4日から、

私の
左手と左足は、
麻痺で
まったく
動かなくなって
しまった。

 

 

立つことも歩くことも出来ない。
 
 
これから、初めての入院生活。
 
 
そしてずっと無縁だと思っていリハビリの毎日。
 
 
 
 
リハビリ入院生活が
始まるのだった。

 
 


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