20歳ぐらいの時、韓国で、妹と
実弾射撃をした思い出。
実弾射撃?
え?
アメリカ?グアムの話?
いえいえ、すぐそこの韓国。
実は韓国は、観光の一環として
実弾射撃場が、ソウルや釜山の街中
いたるところにある。
だいぶ前に釜山で起きた、
射撃場の火災事故で、日本人観光客が
亡くなった事故があったのを
覚えているだろうか。
もちろん、韓国はアメリカのように
銃がフリーな国ではない。日本と同じ。
いったいどういう仕組みで
射撃場が運営されているのかは
謎ではあるが(・_・;
その韓国で実弾射撃した時のお話。
別に実弾射撃をするために
わざわざ韓国に足を運んだわけではない。
私の祖父が、朝鮮併合時代に、韓国の釜山で
10代の青春時代を過ごしており、
元気なうちにもう一度、
自分が過ごした青春時代を見ておきたい、
ということで、私と妹が、
金魚の糞のごとく、
父と祖父と韓国旅行に着いていっただけ。
時期で言うと、童貞ソー・ヤング時代に近い。
[nlink url=”https://hachimakibozu.com/extra/virgin-so-young01″]
その頃は冬ソナもヨン様も日本ではまだ
放映されていない。
日韓ワールドカップすら開催前の話だ。
そんな、世間が韓国って
アジアだっけ?
みたいな時代に、私達は渡韓した。
↓28年ぐらい前の釜山の街並み
祖父は青春時代を日本ではなく、
韓国釜山で過ごしたが、祖父は朝鮮人と
いうわけではない。
祖父の父が、朝鮮併合時、
日本語の教師をしていた関係で、
併合時は、祖父は釜山で過ごした。
祖父が生きていた時は、そんな
併合時の話を
私によくしてくれた。
生き証人とは
まさにこのこと。
ニュースや、ネットの情報では得られない、
真実のお話。
もちろん、年数も経っており、
人の記憶も曖昧なのはあるがが、
祖父の話には、リベラルも
イデオロギーもない。
祖父の話で一番印象的だったのは、
国と国との垣根を超えてみな
仲良かったという話。
そりゃ当時は韓国も同じ日本だったので
垣根もクソもないが
そこには差別もいじめもない。
みな同じ日本人として仲間として、
日本人、朝鮮人関係なく一緒に仲良く
学校生活を送ったそうだ。
もちろん教師も同じ。
天国にいる祖父と曽祖父が
今の日韓の現状を見たらどう思うだろうか。
がっかりするのか、
それとも
「やっぱりw」
と思うかは今は分からない。
この4月、危うく
直接
聞けそうになった
けれども。
とまぁ、そういうわけで韓国に行ったわけね。
韓国では現地のガイドさんに、
おじいちゃんが通った小学校や、
よく遊んだと言う河原を回った。
おじいちゃんは終始
懐かしい目をしていた。
確か韓国旅行初日の夕方だった。
昼食を食べ終えた私達は
↓たぶん参鶏湯。
現地のガイドのお姉さんと妹の三人で
釜山を観光することになった。
その時の話が、先日のTwitterの
このツイートである。
そして、
路面販売で見つけた、
どう考えても値段的に怪しい
シャネルの財布を
妹と共同購入して
母の誕生日プレゼント兼
お土産にした。
母は、パチもんのシャネルの財布を
しばらく愛用してくれたが、
気がついたら元々使っていた自分の財布に
戻っていた。
年末実家帰った時、まだあるか聞いてみよう。
そんなこんなで妹と韓国観光を楽しんでいたら、
ガイドの女性が突然私達に聞いてきた。
「鉄砲
撃ちに
行く?」
妹と私「えっ?!」
続く
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