【番外】祖父を殺しかけた思い出

番外編


4月4日、桜が咲きはじめた春春先に
リハビリ入院が始まり、蝉が
聞こえる季節になり、
周りの御年輩方々と、
「蝉って実は、
天敵のいないところだと、
1ヶ月以上
生きるらしいすよ。」と
会話していた初夏が、
もはや古いアルバムめくる並に
懐かしい。

ベッドの上で
平和から令和に代わり、
無駄に長い、ただ有給日数をカバーするだけの
ゴールデンウィークも終わり、
いつ間にか梅雨も過ぎ去り、
今年の8月は存在してたんだかどうだか。
季節はもうすぐ秋になりそうだ。

この時期になる度、昔家族と出かけた
潮干狩で起きた、
私が祖父を殺しかけた
殺人未遂事件

思い出す。

私には
じっちゃん
と言う愛称で
家族から愛されている祖父がる。
私が両親に次いで尊敬している人だ。
 
じっちゃんは母の父にあたる。
おそらく私のDNAを構成している割合が、
他の親等の方に比べ比較的
似ている方だろうと思う。
なぜなら息子は母親に似て、
娘は父親に似るからだ。容姿だけかも
しれないが。
 
そんなじっちゃんは、
実家に帰る度に「もう長くないけんな」と
笑顔で冗談を言いながらも、
まったくその気配なく
今でも変わらない、
超絶元気なスーパー爺さんだ。
 
家に電話すると、
毎回ジャパネットたかたの注文ダイヤル並の早さで
受電してくれる。
 
そんな尊敬してやまない我が
じっちゃんであるが、
私が確か未就学児童だった頃、あろうことか
殺しかけたことがある。
 
家族はもちろんじっちゃん本人も
忘れてしまっているかもしれないが、
 
私は37のオッサンになった今でも
強烈に覚えている。
もう完全に時効はとっくの昔に過ぎているが、
この事件のことは墓場まで
持っていくつもりはないので、
この場を借りて話そうかと思う。

とある日の夏、家族みんなで吉野川に
潮干狩りに行くことになった。
 
行くことになった経緯は記憶にないが、
毎年恒例行事だったような気がする。
 
吉野川は四国の大動脈。徳島県民のみならず
四国民にとって生命の源だ。
 
でっかい淀川をイメージしてもらえると
分かりやすいと思う。
淀川がよく分からん人は
小さい吉野川をイメージしてもらえると
分かりやすいと思う。
 
 

その日潮干狩には、愛用のアンパンマンの
お砂場セットを持って行った。
獲ったアサリを入れる小さなバケツと、
ひしゃくみたいなのと、砂をかきかきする
クマデとスコップの4点セットだ。
いつも公園のお砂場で活躍している
大事な宝物だ。
 
吉野川の砂浜に着き、
潮干狩りという名の
アサリの乱獲

楽しむ我が一家。
 
日も暮れ始め、
みんなアサリも充分満足いくぐらい
採れたので、もうそろそろ帰ろうか、
ということに。
 
大人はずっと中腰でしんどいので
もう帰る気満々だ。
私は採るのにひたすら夢中だったが
仕方がなくお砂場セットを片付け、
 
家族が帰る用意をし始めてるいる車に乗り込む。
疲労感ただよう車内。
父の運転する車が吉野川の土手沿いを
自宅方向に向かって走り始める。
 
 

その時だった。
私はあろうことか大事なお砂場セットの1つ、
小さなバケツを潮干狩りをしていた場所に、
置き忘れてきた事に気がついた。
 
私は「取りに帰って!」と父に悲願。
車をUターンし、潮干狩りしていた場所に
慌てて戻った。
 
 

が、しかし
そこにアンパンマンのバケツはおろか、
さっきまで潮干狩りしてい砂浜が
無くなっていた。
 
そうである。

潮が満ちはじめていたのだ。
 
 

アンパンマンのバケツはもうそこにはなかった。
あろうことか、川に流され、
吉野川の中央付近でプカプカ浮いて
遠くの方に流れて行っていた。
 
もう回収は絶望的な距離に
行ってしまっている。
 
 

当然ながら私は
この世の終わりかのごとく

泣いた。
お気に入りのお砂場セットだったから
めちゃくちゃ悲しかった。
そして誰か取ってきてと、
無茶苦茶

を言う。
 
流石の子供の駄々こねにも限度がある。
もうバケツは川の中央の果てしない向こう。
川を泳いで取って戻ってくるには
それ相当の水泳技術が必要である。
 
それも流域面積3km2オーバーで、
流れも深さもよく分からない天下御免の
巨大な吉野川。
 
 

そんな川を水泳の素人が泳ぐのは完全に
自殺行為
である。
しかも日が暮れ始めてあたりはもううす暗い。
 
しかし私はひたすら泣き続けた。
泣き続けたら、
そのうち誰か
なんとかしてくれると
思っている
クソガキだった。

 
 
あまりに悲しむ私を見かねたじっちゃんが
「泳いで取りに行く」と言い始めた。
 
当然家族は反対するが、私はじっちゃんなら
なんとかしてくれる!と単純に思って、
満面の笑顔で「今すぐ取りに行って!」と
じっちゃんにお願いをした。
今この時に戻れるなら
その時の自分を
ぶん殴りたい。

 
じっちゃんがパンツ一丁になる。
家族は自殺者を
引き止めるかのごとく

じっちゃんを説得する。
 
万が一溺れようもんなら
翌日の徳島新聞に載るのは
間違いなしである。
 
アンパンマンのバケツは
買えば代わりがきくが
じっちゃんの命は代わりはきかない。
 
 

そもそもアンパンマンのバケツと
じっちゃんの命を天秤にかけること自体が
間違っている。
 
 

しかしじっちゃんは家族の制止を振り切り
暗い吉野川へ。
夕日が照らすじっちゃんの後ろ姿がとっても
カッチョ良かった。

 
 

家族の心配は余所に、じっちゃんは
すごい早さで泳ぎ、バケツに近づいていく。
あっという間にバケツのところに行き、
回収後また泳いで戻ってきた。
じっちゃんがバケツを取ってきてくれた。

凄い嬉しかった。
じっちゃんは笑顔だった。
 
 

そんなじっちゃんは
私にとって
スーパーヒーローだ。

37になった今でも
あの時
じっちゃんが泳いでアンパンマンのバケツを
取ってきてくれたことを
忘れたことはない。
 
そして私のワガママでじっちゃんを危うく
帰らぬ人

させてしまうところだったことも。
 
 

そんなじっちゃんは大工さんで、
取得が難しい第2級建築士を持ち、実家の家は
2年がかりで、じっちゃんがほぼ一人で建てた。
(※時々、藤岡弘、似の筋肉ムキムキの
じっちゃんの後輩のにいちゃんが
手伝いにきてくれてた。
私も一丁前に足場に登り、
じっちゃんや藤岡弘、に
釘を渡すお手伝いをしたりした。)
 
じっちゃんの趣味は
徳島の民芸品の竹人形作りで、
 
 

作品が
文部科学大臣賞

選ばれ、新聞に載るほど。
 

 

じっちゃんは才能の塊過ぎる
スーパーじいさんだ。
 
 

いつまでも長生きしてやー!
じっちゃん!

 
 


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