私の園児時代の罪と罰【番外】

番外編


社会道徳を
 
踏み外した
保育園児の私の懺悔と償い
 
 

私が

保育園児(4)の時に犯した
を今、
懺悔
しようかと思う。

 
私は幼少期は、若松保育園という
実家から近い保育園に通っていた。
近いと言っても、
例の三○君の家からよりかはちょっと遠い。
三○君の家と、30年前ぐらいに
惜しくも閉店した、スーパーみ○みの
丁度間ぐらいに若松保育園は存在する。
[nlink url=”https://hachimakibozu.com/extra/sasada”]

毎日の送り迎えは、
ばっちゃん(祖母)が担当してくれた。

当時はおやつに、
ちりめんと
ビスコのセット

しょっちゅう出てくる、
ちょっと変わった保育園だった。
保育園なので、当然午後に
お昼寝タイムがある。私の組に、
とても仲の良かった女の子がいた。
ちょっと大人びた、可愛い子で、
かなりオマセさんだった。

どうオマセさんかというと、お昼寝時に
彼女が私の布団にこっそり潜り込み、
私の息子スティック
握り潰しに
くるのだ。
しかも直接手を突っ込んで。
彼女は痛いか?と毎回聞いてくる。
私は痛いからやめて、
拒否していたが、
実はお昼寝時間の謎の痛みチェックが
実は
毎日

楽しみだった(^^;;
彼女との関係は卒園まで続いたが、
小学生にあがると、なぜか彼女は3年生
なっていた。

実はかなり歳上であった。
卒園後は彼女とはまったく遊んでいない。
あの保育園の、あのお昼寝の時間は
いったい何だったのだろうか。
ギリギリ顔は薄っすらと記憶の断片に
残っている。
セクシー女優の道を歩んでなければ
いいいが。今、彼女はどうしているだろか。
どんな33年間を歩んだのかすごく気になる。

ていうか当時の私は、病院で処方される
薬のボトル、
B型投薬瓶
20190923082828
に自身の息子スティック
突っ込んで遊ぶ

変わった園児
だったので人のことは言えない。

たまに
大きく
なって、
抜けなくて困ったことも
しばしばあった。

考えると当時の私の組は
ぶっ飛んだ園児

ばかりだったなあ(^_^;)

そんな私は今、大阪のリハビリ病院で
長期入院してるんだから、
人生何がどうなるか分からない。
 
 

人生って不思議なものですね。

そして懺悔であるが、
お昼寝中におしっこがしたくなった時は、
小出し
で、引き戸の床の溝に
排尿
していました。
 
 

本当にちょっとずつです。
 
 


ごめんなさい。

あれ、

私です。

あともう一つ!

まだあるんかい^^;
当時、仲間内で微妙に流行った
ビッグワンガム

おまけのおもちゃ、
鈴○君
が持ってたやつ、

パチクったの

私です。

本当に
ごめんなさい。


20190923074417
その鈴○君が当時住んでいた
事務所兼居住のそびえ立つ自社ビル。
何回か遊びに行ったことがある。
びっくりするぐらい広かった。
 
住む世界が違うなあと当時は
感動したのをよく覚えている。
あと、どこからどこまでが
土禁
なのか
よくわからなかった^^;


確か妹のやつ、って言ってたよね。
まじでごめん。

成人式の時にこの件謝罪しに行こうと
彼に会いに行ったら、

ゴリッゴリの
ヤンキー

になっていて
声をかけることすら出来ませんでした。

幼稚園の懺悔は
以上。

 
 


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